こんにちは!
午前中、鹿嶋ふるさとガイドの育成ということで
私も育成されに行ってきました。。。
といっても、やっと土地勘が少しついてきたくらいのユウナです。
「へぇ、そうなんだ」
って感じではありました。。
そんなところで、今回は
「天狗党の墓」 の紹介に移ります。
森林の中を歩いていくと綺麗な墓地が広がります。
ガジュマルの木のような木の近くに
到着です。
鹿嶋の歴史に名を遺す
「天狗党の墓」です!!!
いや、これがなんとも、凄い話で
以下、簡単な説明です。
1864年、水戸藩内部の対立により諸生派と天狗党に分かれ争いが起こったそうです。
後に、天狗党の追放のために幕府軍が派遣され、鹿嶋に天狗党の約800人が逃げてきたそうです。
幕府軍の攻撃により逃げ遅れた者は切られ、人にあらずと馬捨て場に捨てられましたが、後に有志により石碑が建てられ、墓を守っています。
ちなみに、鹿嶋で知られる「愛護かるた」(あられふる、とか)にも「榎の下に天狗のお墓」があるそうです。
今はきれいに整備され、しっかり歴史として、今の時代を受け継いでいます。
あまり写真は撮れなかったですが(いろいろあるでしょうから。。)
パワーはしっかりもらいました。
昔の人も、当主に逆らいながらも、自分の真意を貫いていて
かっこいいなぁ、、、と思いました。
以上!!!
ほかにもたくさん巡ったのでまた、更新します!!
ユウナ先生おはようございます🐟
チャトラです。
。。、な~~に書こうとか考えてますが。。、ふむ、。こちらのブログに偶然お会いできなければこんな事一生書かないだろ的な?。。、そんなハナシお墓にでも持って入れば?と、ユウナ先生がボヤキそうな懺悔的なモノにしよう、。。うん♪。、そうしよう。、
天狗党騒動。、ヒジョーにざく切りですが、身内の骨肉の争い的な、。そんなカンジですか。。何故身内でソコまで徹底的に●りあうのか。。、現在のニュース見ててもそんなのはザラにあります。。、理由は身内だから。。、に他ならないのでしょう。。、チャトラの立ち位置は。、。茨城のとある一族の家督相続者。、。兄弟的な者も居ますが、チャトラは一番上。、。なんです。ネ⭐。あー。、。自分の事書くのはハズぃィィ。、
続けますか?。。、読むんですネ?。。、自己責任ですョ。。ふむ。、
、。なんですが、ハズぃ
コトに、自分の事に向き合うコトもあまりなく。、。奇跡的に。、。ノラリクラリと今まで生きてきました。、。
幸いこれまた奇跡的に結婚もし。、。更に奇跡的に後継者にも恵まれ。、。今に至る。、
なので、チャトラは六代目にあたり、今現在五代目も居て、七代目にあたる者も居ます。。、まさに骨肉を争う世代間確執のど真ん中。
表面的には仲良し3世代♪的な何の問題もあり得ない♪いたって今どきのスローライフ♪。、を演じてはいるものの。、チャトラ本人さえ自覚ないものの、精神的にはけっこうキテます。、いろいろありすぎて。、長くなるのでそのあたりの事情は割愛しますが(コメント文字制限800字)⭐
あ、ちなみにウチは天狗党騒動に加担したカドで分家させられてるそうな。。うむ、致し方なし。、
なんだか!壮絶な文章ありがとうございます(><)
人にはそれぞれ生きるべき道と生きたい道があるとおもいます。
そのふたつが重なるといいんですけどね。